« 5:1、もらっちゃおうか | トップページ | 台所書斎、なかなか良いです »

2015年10月26日 (月)

佐藤優「プラハの憂鬱」

内容紹介 私が祖国のためにしたことをマサルに知ってほしい。私はもう故郷に帰れないのだから。1986年ロンドン。外交官研修中の私は、祖国の禁書の救出に生涯を捧げる亡命チェコ人の古書店主と出会った。彼の豊かな知性に衝撃を受け、私はその場で弟子入りを願い出た――神学・社会主義思想からスラブの思考法、国家の存在論、亡命者の心理まで、異能の外交官を育んだ濃密な「知の個人授業」を回想する青春自叙伝。
Sb_0231

 佐藤優さんの「プラハの憂鬱」を読みました。佐藤さんは尾崎さんを偲ぶ会の呼びかけ人の一人だったので、私も偲ぶ会当日にお目にかかっています。私が佐藤優さんの名前を初めて知ったのは、モスクワの北野氏のホームページのオススメ本コーナーで紹介されていたのを読んだ時です。モスクワの北野氏オススメ本のうち、ビル・トッテンさんの「アングロサクソンは人間を不幸にする」などは読みましたが、佐藤さんの「国家の罠」は読んでいないし、私はテレビも新聞も見ませんから、鈴木宗男事件については、小耳にはさんだくらいで、佐藤優さんが関係していることはごく最近まで知りませんでした。ま、私自身が、空き巣だのオートバイだの共謀罪だのに悩まされていた事件当事者なわけで、それどころじゃなかったとも言えますが。そんな佐藤さんのことを山崎さんがしばしばブログで取り上げているし、尾崎さんを偲ぶ会でご本人にお目にかかったこともあり、何か一冊読んでみようと思った次第です。
 佐藤優さんは同志社大学院神学部を出られた神学者なんですね。佐藤さんが外務省に入ったのも、チェコスロバキアの神学者フロマートカの研究のため、外務省に入れば、冷戦下のチェコに行けるかもしれないという希望を抱いてのことだった。そして外務省に入ったものの、ロシア語を勉強するためにイギリスに留学させられる。本書「プラハの憂鬱」は、このイギリス留学時代に知り合った亡命チェコ人ズデニェクとの思い出をつづったものです。


 さて、本書を読み終みながら、心に残ったところを書きとめたので、紹介します。
 
過去の資料はそれこそ無限にある。そこから何を選び出し、どうつなぎ合わせるかによって物語が形成される。パラッキーやマサリクのような優れた編集者がいなければ、チェコ民族が成立することもチェコスロバキア国家が建設されることもありませんでした。逆にスターリンのような恐ろしい編集者がいると、ああいう国になってしまう。もっともチェコスロバキアの共産主義者には、優れた編集能力を持つ人がいなかった。ソ連から制度もイデオロギーもすべて輸入した。チェコのどんな田舎町に行ってもレーニン通りとプーシキン広場があります。チェコの共産主義者が独自の編集能力を持っていれば、こんなことにならなかった。(マストーニクス氏談 132頁)

「亡命者の男たちは、いつも暗い話ばかりするの。そして、自分が悲劇の主人公のような顔をする。亡命者は歴史を正面から見ることができない。マサル、あなたは外交官になるのだから、公式の歴史、強い者の歴史をまず学ぶことを勧めるわ」(ヘレナ)
「ヘレナの勧めるアプローチは正しいと思う。特に外交実務家として必要になる歴史は大国の歴史であり、しかも王、大統領、外務大臣、外務官僚、高級軍人の視座にたった歴史だと思います」(ズデニェク)
「そういう歴史は高校で十分学んで来ました。私は民衆史や小国の歴史に関心があります」(マサル)
「チェコの歴史を勉強する人が民衆史や小国の歴史に関心を持つのは、ある意味で当然ことです。それ故に、あえてマサルには大国の歴史を勉強して欲しいのです。特に、ロシア、ドイツ、英国、ハプスブルク帝国の歴史について勉強して欲しいのです。これらの帝国が、現実の歴史をつくってきました。その隙間でしか、私たち小さな民族や国家は生き残っていくことができないのです。それだから、まず大国の歴史をおさえて、大国が紛争を処理するときに小国を『釣り銭』のように取り扱うことを理解し欲しいのです」(ズデニェク)
「そういう視座で歴史を見るのは不愉快です」
「確かに不愉快です。しかし、それが現実なのです。マサルは、どう考えているかわからないが、日本は大国です。日本は、世界に影響を与えるプレイヤーとして近代史をつくりました。第二次世界大戦に日本は敗北しましたが、全世界を相手にして戦って、あそこまで持ちこたえた日本に対して、全世界が畏敬の念を抱いています。そして、第二次世界大戦後の日本は、軍国主義路線を放棄して、経済力で世界を席巻した。ただし、日本という大国から見た世界史と、他の大国、例えば英国から見た世界史は異なります」(ズデニェク)(152頁)
 私の一言 私も、強い者の歴史(公式な歴史)を、まず学ぶべきだと思います。強い者(覇者)が変われば、公式な歴史も書き換えられる。ヒットラーはピストル自殺したと教わってきましたが、ヒットラーは生きていたという情報がポチポチ流れるようになっています。時代の変わり目なんでしょうね。

私たちが言うところのキリスト教(カトリック、プロテスタント、その他)とは、見解、思想、教義、礼拝や組織の規則に存するものではないことをまず述べておきたい。信仰とは『召命を受けた』という強い意識がないと成り立たない。教会が――旧い契約であれ新しい契約であれ――生まれたのは、思想家、哲学者、道徳家、宗教的な夢想家、あるいは司祭や信徒の組織者の足元においてではない。教会が生まれたのは常に、個人または人々が、逃れることのできない非常に重要な使命のために呼びかけられたという意識に包まれるところである。聖書のあらゆる登場人物、あらゆる出来事の背後では、ときに大きくときにやや小さく天の声が響く。さあおいで。行くのだ。お前に託す課題を受け止め、行きなさい!」 (ヨゼフ・ルクル・フロマートカ〔平野清美訳、佐藤優監訳〕『人間への途上にある福音 キリスト教信仰論』新教出版社、2014年、21頁)162頁
 私の一言 私が元亭主とバブルのことで言い合いしていたのは、召命を受けたからなんだと思います。あの頃から私は、神以外のいかなるものも信じないと思うようになっていますので。
 余談ですが、尾崎さんを偲ぶ会で佐藤さんにお目にかかって驚いたのは、そのメタボぶりです。私も数年前までメタボで、「食生活を改善しろ」「少し運動しろ」と健診の度に言われていました。そしてバドミントンと食生活の改善(外食せずに体育館で手弁当を食べる)と運動前のブラックコーヒーのおかげで、メタボから脱却しました。が、佐藤さんのメタボぶりは私の比ではない。お医者さんに運動しろって言われないわけがないんですが、本書「プラハの憂鬱」(192頁)に「僕はフォークダンスが嫌で、幼稚園を長期欠席。小学校から大学まで体育は苦手科目」と書いてあるのを読んで、私は絶望的かもしれないと思うようになっています。佐藤さんには、アクアウォーク(プールの中を歩く)をオススメしたいんですがね。

« 5:1、もらっちゃおうか | トップページ | 台所書斎、なかなか良いです »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事