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2015年11月

2015年11月30日 (月)

「鹿の王 (上)」(上橋菜穂子 角川書店)


内容紹介

2015年本屋大賞受賞!

強大な帝国から故郷を守るため、死兵となった戦士団<独角>。その頭であったヴァンは、岩塩鉱に囚われていた。ある夜、犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生する。 その隙に逃げ出したヴァンは幼い少女を拾うが!?

内容(「BOOK」データベースより)

強大な帝国・東乎瑠にのまれていく故郷を守るため、絶望的な戦いを繰り広げた戦士団“独角”。その頭であったヴァンは奴隷に落とされ、岩塩鉱に囚われていた。ある夜、一群れの不思議な犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生する。その隙に逃げ出したヴァンは幼子を拾い、ユナと名付け、育てるが―!?厳しい世界の中で未曾有の危機に立ち向かう、父と子の物語が、いまはじまる―。


★ ★ ★

 上橋菜穂子さんの「鹿の王 上」を読み終えました。豊島区立の図書館で借りたのですが、上下巻とも予約が多く、順番待ちが長いです。下巻が私の番になるのがいつになるのか分かりませんから、上巻を読み終えたところで、ブログに感想を書くことにしました。

 山崎行太郎さんの哲学研究会に出て刺激を受けると、「私も本を読まなきゃ、歴史を勉強しなくちゃ」と思います。このように思った私が上橋菜穂子さんの小説を読んだのですが、上橋さんはSF・ファンタジー作家であって、歴史小説家ではありません。だからと言って、荒唐無稽なことを書いているとは思えません。この地球という天体を舞台にすると、「地球のどこ? どの国のことを書いているの?」と、書き手も読み手もこだわってしまう。このようなこだわりから解放されて、思う存分「ありそうな事」を書けるのがSF・ファンタジーなんだと私は思うのです。
 ここで本書の中から、「ありそうな事」を引用紹介してみます。

 アカファの中でも最西端にあるトガ山地は、アカファ王国がツオル帝国にゆっくりと呑みこまれていく、その波が、最後に到達した地だった。
 強大なツオル帝国に抗っても勝てる見込みなどないことは、子どもたちですらわかっていたが、辺境の小さな氏族が抵抗もせずに服従すれば、奴隷に近い扱いを受けるだろうこともまた、誰もが知っている事実だった。
 しかし、逃げようにも、西には、ツオル帝国も遙かに残酷な支配で知られるムコニア王国が立ちはだかっている。
 アカファ王国は巧みにツオル帝国に恭順し、すでに帝国の中で一定の地位を与えられていたから、アカファ人は帝国属州の平民としての暮らしを保障されていた。
 だが、トガ山地に点在している各氏族は、アカファ語をしゃべり、ムコニアなどの外敵の侵略に対しては、〈アカファの民〉として戦っていても、アカファ人ではない。みな、アカファ王国に恭順の意を示す代わりに、緩い自治権を許されていた独立民であったから、アカファ王国併合の後も、ツオル帝国属州の平民とはみなされていなかった。
 ツオル帝国が長い年月をかけてじっくりと進めてきたアカファ本土の属州運営が安定し、最後の仕上げとしてトガ山地の平定計画に本格的に着手したとき、アカファ王は各氏族に使者を遣わして、この段階でツオル皇帝に恭順の意を示せば、ツオル軍の進軍を思いとどまらせて、氏族民の身の安全を保障するよう交渉できると言ってくれた。
 しかし、アカファ王にできるのは「身の安全の保障」までで、属州の旧統治者という立場では、服従後の身分決定に関われるはずもなかった。
 征服した土地の民族の扱いは、帝国の辺境支配に深く関わることであり、そこに、属州の旧統治者が関与することには様々な問題があったからだ。
 ツオル帝国は、下層民を意識的に故地から引き離して、遠方の征服地へ入植させる政策をとっている。アカファ人のような平民としてではなく、下層民としてツオル帝国に組み込まれてしまえば、故郷から引き離され、慣れぬ異郷での過酷な暮らしを余儀なくされる。
 八方塞がりの中で、ガンサ氏族の長たちが長い長い話し合いの末に選んだ道は、〈抵抗者〉を作ることだった。・・・(50頁)

 アカファ岩塩鉱は、もともとは、この地に暮らすアカファ人が発見し、数百年に亘って、塩を生産し、アカファ王国の財政を支えてきた場所だ。
アカファ人たちが昔ながらの形で運営していた岩塩鉱を、父の代で、強引にツオルのやり方ーー戦争奴隷を使い捨てる方法ーーに変えたことが、この地の民に微妙な感情を生んでいることを知りながら、・・・(109頁)

 以上です。

伊達巻きお稽古(2)

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 昨日お節のお稽古に伊達巻きを作りました。今季二度目です。前回の失敗の原因(鍋の蓋)がハッキリしているので、これを改善したら、見栄え良くできました。もう少し焦げ目がついても良かったかなと思いますが、これで伊達巻きのお稽古はお終いにするかもしれません。自家製伊達巻きは市販品より甘みが少ないですが、それでも甘いです。兄は伊達巻き・栗キントンのような甘い物が好きではありません。お正月のお節に年に一度少量なら我慢もできるでしょうけど、こうたびたび晩のおかずに出されるのは迷惑なんじゃないでしょうかね。

2015年11月29日 (日)

2015年11月墓参

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 日暮里のお寺にお墓参りに行ってきました。お寺に着いたのはお昼頃。伊達巻きのお稽古等、予定が入っているので、お参りを済ませた後、ルノアールにも寄らずに帰ってきました。

今日お墓参りに行きます

 今月はまだ墓参していません。というわけで、今日行きます。お昼前後になると思います。日暮里のお寺に真っ直ぐに行って、どこにも寄らずに真っ直ぐに帰宅する予定です。

2015年11月26日 (木)

五分間禁煙始めます

 五分間禁煙を始めようと思います。五分間禁煙とは、タバコを吸おうと思った時、「いつでも吸えるよ、もう五分待とう」と先送りし、五分経ったら、また「いつでも吸えるよ、もう五分待とう」と先送りする禁煙法です。完全禁煙ではありませんが、本数を減らすことはできると思います。

2015年11月24日 月刊日本辻説法

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  一昨日の火曜日の夜、新橋のSL広場で行われた月刊日本辻説法に行ってきました。山崎さんも来るはずだったのですが、山崎さんを発見できませんでした。

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 月刊日本2015年12月号をゲットして帰宅。

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2015年11月24日 (火)

ニシンの昆布巻き

 一昨日の日曜日にニシンの昆布巻きを作りました。北海道ぎょれんさんのレシピをyoutubeで発見したので、手順などを参考にして試してみたのです。


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 ニシンはスーパーで入手できました。20日の金曜日に仕事帰りに池袋東武の地階食品売り場(デパチカ)に寄ったら、ニシンを見かけました。このときは「ある」のを確認しただけで買わずに帰りました。その後スーパーへ行ったらスーパーでも売っていたので購入しました。
 日高昆布(みついし昆布)はビック築地で購入。かんぴょうはシシャモの昆布巻きの残り。

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 食べかけ写真ですが、ニシンの昆布巻きです。北海道ぎょれんさんのレシピには、あっさり味とこってり味と味付けが二種類あります。三年ほど前、新井薬師(旧江古田)にお煮しめを持って行った時、マスターから「おせち料理は本来保存食だから、三が日まで持たそうと思うなら、味付けは濃くしないと…」と言われたことがあります()。お節のお稽古であるのだけれど、今回は晩のおかずに作ったのであっさり味にしました。手順については北海道ぎょれんさんのレシピを大いに参考にさせていただきましたが、味付けはさらに工夫して私独自のものを確立しようと思います。
 作ってみて、シシャモよりニシンのほうが巻きやすいと思いました。ニシンが小規模家庭量入手できそうなので、本番もニシンになると思います。


2015年11月19日 (木)

ニシンが手に入れば…

 身欠きニシンが手に入るなら、ニシンの昆布巻きのお稽古もしたいのですが、この時期だと店頭にないんですよ。ビック築地で見かけることはありますが、ビック築地は本来業務用で、小規模家庭では量が多すぎるんです。

年末年始休めます

 今日、来月(12月)と年始のシフト表が出て、年末年始タップリ休めそうです。これだけあれば、姪っ子や甥っ子を誘えるように、お節作りに気合を入れようと思います。
 それと救援会豊島支部会議の日程が私の休みと合うならば、出てみようと思います。F子さんに連絡してみます。

2015年11月18日 (水)

伊達巻き

 昨日、シシャモの昆布巻きに続き、お節のお稽古に「伊達巻き」を作ってみました。
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 お味はまぁまぁなんですけどね、焦げたり、鍋から上手くはがれなかったり……で、見た目は良くないです。が、失敗の原因は分かっているので改善できます。フードプロセッサーを動かすのも一年ぶりで、説明書を読みながらになってしまいました。ぶっつけ本番は怖いので、お稽古しているんです。

2015年11月17日 (火)

シシャモの昆布巻き

 年末年始の休みがどうなるのか、シフト表をもらうまで私にも分かりませんが、とりあえず希望は出したので、休めるという前提で、昨日、お節のお稽古に「シシャモの昆布巻き」を作りました。

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 ネットや本でレシピを見ると昆布巻は、昆布だけの物もあるし、鮭だのニシンだのを詰める物など複数あります。過去数年間いろいろ試して、私はシシャモが一番巻きやすいように思うんで、今回もシシャモにしました。
 
 昆布は早煮昆布と日高昆布のどちらにしようか迷いましたが、昨日は早煮昆布を使いました。本番前に日高昆布でお稽古できるといいんですけどね。

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 シシャモを、こんな感じで巻きます。尾頭付きです。

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 シシャモの長さの昆布巻き二か所を、かんぴょうで結んだのですが、三か所にしたほうが良いように思います。二か所だと型崩れしてしまう。

マイナンバー通知カード、届きました

 マイナンバー通知カード、一昨日の日曜日に届きました。未開封で、兄が持っています。会社の書類を読んでから、開封しようと思います。

2015年11月15日 (日)

救援会に戻るかもしれません

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 昨日、午後6時半から開かれた救援会豊島支部大会に行ってきました。支部大会に出るのは、5年ぶりと思います。
昨日のの大会では、「『平和安全法性(戦争法)』をめぐる情勢」という内藤功弁護士のお話を聴くことができました。
ポツダム宣言のことなど、大いに参考になりました。
 これが終わるといつものように、一年間の活動報告や財政報告などがあって閉会。二次会(懇親会)に向かいました。 懇親会では私はF子さんや都本部のOさんの前に座ったので、彼らからいろんな情報を入手することが出来ました。聞いていると、豊島支部は動ける人が少ないようです。また北陵クリニック事件は「東京の会」というのが出来て、私も面識のある都本部の女性が担当しているんだそうです。F子さんには次回支部会議の日程が決まったら教えてほしいと言っておきました。未定ですが、救援会に戻るかもしれません。

2015年11月14日 (土)

マイナンバー通知、配達完了は一割

 マイナンバー通知カード配達完了は全体の一割なのだそうです。アルバイト先の職場から、マイナンバーの通知が届いたら、会社に知らせるようにと言われていますが、我が家には届いていません。配達完了が全体の一割なんだから、会社に知らせたくてもできませんよね()。

2015年11月12日 (木)

IEで「警告」

 インターネットを見るのに普段私はファイヤフォックスを使っていますが、たまにIEを利用することがあります。この数日来、IEを開こうとすると「警告」が出るのです。なりすまし画面でパスワードを盗んだりする人がいるようなので、その警告でしょうか。

病院には午後

 今日、血圧の薬をもらいに病院に行くのは午後になります。木曜日は、いつもの先生が休みなので、代わりに他の先生にお頼みすることになりますが、何度測っても血圧が180あって、慌てて夜間外来に行った時の先生が木曜の午後なのです。

2015年11月11日 (水)

豚の味噌漬け焼き

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 食べかけの写真になってしまいました。昨晩、久しぶりに豚肉の味噌漬け焼きを作りました。作り方・調味料の塩梅は同じで、味噌もいつものタケヤ味噌です。キャベツの千切りに味噌ダレがかかっていますよね。豚の生姜焼きのタレでキャベツの千切りを食べるのが好きだから、多分、味噌漬けのタレでも美味しくキャベツを食べることができるはずと思って試してみました。美味でした。

2015年11月10日 (火)

運勢の変わり目で?

 昨日は出勤日で、帰路、自宅近くで某女性と久しぶりに顔を合わせました。彼女も私に気が付いて、彼女のほうから「元気? 元気?」と言いながら、私のほうに寄ってきました。旧交を温めた後帰宅すると、こんどはF子さんから電話がかかってきたのです。11月は、月運において私の運勢の変わり目です。何か変化があるかもしれません。

病院には木曜日に行きます

 血圧の薬が残り三日分になったので、病院に行かなくてはなりません。アルバイトの都合で木曜日になりそうです。いつもの先生お休みなのですが、止むを得ません。

F子さんの名刺、出来ました

 救援会豊島支部のF子さんの名刺、出来ました。救援会のロゴが手に入ったものの、パーソナル編集長で名刺を作るの久しぶりなので若干操作に不安はありましたが、始めてみるとサクサク動き、一時間ほどで出来上がりました。メールで試作品をF子さんに送ったので、彼女の希望を取り入れて少しばかり手直しすることになると思います。

救援会豊島支部大会に出ることになりました

 昨晩、救援会豊島支部のF子さんから電話がありました。布川事件の杉山さんが亡くなったというニュースをテレビで見、驚いて桜井さんのブログを見、私のブログを見たところ、すでに私がブログに杉山さんのことを書いていたので「さすが早い」と思って、電話をかけたのだそうです。
 私が救援会を退会してからすでに4年以上経ちますが、救援会豊島支部役員の中にはデイケアに通い出した人や遠くに引っ越した人などがいて、私がいた頃と人事がずいぶん変わっているようです。支部大会のお誘いを受けたので、出席することにしました。
 で、事のついでにF子さんの名刺をパーソナル編集長で作ることになりました。私が救援会にいた頃は、豊島支部役員の名刺は私が作っていました。4年ほど前に20~30枚作ってF子さんに渡した名刺が残り一枚になったそうで、支部大会でF子さんに渡せるようにこれから作るのですが、ロゴが手に入るかどうか、私のパソコンのどこにあるのか、あの頃使っていたデスクトップパソコンが動きませんので、探し出すの、難しいかもです。

イカと里芋の煮物とエノキとワカメのマヨネーズ和え

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 昨晩、「イカと里芋の煮物」と「エノキとワカメのマヨネーズ和え」を作りました。
「イカと里芋の煮物」のレシピはネットや料理本に多くあり、昨日作ったのはアレコレが合作したものです。私自身のレシピは確立できていません。キノコも海藻も身体に良いので、もう一品というときに「エノキとワカメのマヨネーズ和え」を時々作っています。

2015年11月 9日 (月)

高野豆腐の卵とじほうれん草の胡麻和え

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 昨晩、高野豆腐の卵とじとほうれん草の胡麻和えを作りました。高野豆腐の卵とじは、もう少し味が濃くても良かったかなと思います。普通の木綿や絹豆腐を使うなら、味が薄くならないように水抜きしたほうが良さそうです。
久しぶりにグリグリを使って胡麻和え作りました。胡麻和えは、ニンジンでもキャベツでも、残り野菜で一品作れるので重宝ですね。

2015年11月 8日 (日)

洗濯機代、半分出せって

 我が家の洗濯機、経年劣化オンボロで買い替えることになるようです。兄が費用の半分出せって言ってきました。大変だよ。

布川事件杉山さんの訃報に接し

 再審無罪が確定した布川事件の杉山卓夫さんが亡くなったそうです。昨日、同じく布川事件の元被告桜井さんのブログで訃報を知り、驚いていたところ、今日になって一般ニュースにも流れるようになりました。
 私が杉山さんに最後にお目にかかったのは、北陵クリニック事件の集会だったと思います。その後わけあって私が救援会を退会し、冤罪関連集会に出なくなったので、お会いする機会もないまま、このたびの訃報に接しました。ご冥福をお祈りいたします。

来月の休み、30日31日を希望しておきます

 アルバイト先の職場から、来月〈12月)の休みの希望を聞かれました。私は30日31日を希望しようと思います。池袋東武の場合、元旦は全館休業で、正月は二日から営業です。来月10日頃にまた来年1月の休みの希望を聞かれた際には、2日3日を希望しようと思います。希望どおりになれば、年末年始30日から3日まで休めることになるので、姪っ子甥っ子に「お雑煮食べにお出で」と誘おうと思います。おせち料理、頑張りますよ。

あれは正夢では?

 先月半ばに北陵クリニック事件関連で妙な夢を見ました。就寝中に見た夢をブログに書くことは滅多にありませんが、あのときは書くべき大事なことと思って書いたのです。あの夢は正夢なのではないでしょうか。派遣村にコーランがでてきたり、これまでいろいろありました。単独で仙台へ行くにしても、事前に行動予定が知れると、往復の新幹線の中で妙な人間が隣に座ることも考えられるので、北陵クリニック事件の支援は当分見合わせたほうが良いように思います。
 少年事件・布川事件・痴漢冤罪等で無罪確定に私も貢献しましたが、そもそも私が十数年前に救援会に入ったのは、弁護士Aに呼び出されたからです。話を振り出しに戻して、弁護士Aと「ABC法律事務所物語」をどのように書くか話し合うべきなのではないでしょうか。

2015年11月 7日 (土)

カレー肉じゃが

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 晩にカレー肉じゃがを作りました。カレー肉じゃがとは、醤油や砂糖のほかにカレー粉を加えて調味した肉じゃがのことです。カレーに含まれるウコンが身体に良い(ボケ予防)と聞いたので、カレーを食べるように心がけています。が、身体に良い食べ物は、味噌・納豆・青魚・海藻……いろいろあるので、なかなかカレーの順番が来ませんから、月に一回ほどになっています。カレーライスだと酒のつまみなりませんが、カレー肉じゃがならご飯のおかずにも、居酒屋メニューにもなります。

たまには図書館にも

 たまには図書館の閲覧室利用します。台所に引きこもりすぎるのも良くないのでね。

きんぴらごぼう

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 昨晩、きんぴらごぼうを作りました。改善の余地はありますが、なかなかの美味。レンコンのきんぴらしかり。キンピラ味は飽きませんね。
 写真にビールが写っています。いつも飲むのは焼酎なのですが、糠床の発酵を促すのに少量のビールが必要で、昨日はビールにしました。

私が「浜菱」を選んだのは……

商品説明 「塩田天日塩 浜菱 750g」は、中国・江蘇省の連雲港の塩田地帯で、昔ながらの天日塩田でつくられた天日塩です。連雲港の塩田地帯は、周囲に民家も工場もなく、自然なままのきれいな環境保全が厳しく義務づけられています。ここでは、塩田に引き入れられた滋味豊かな海水を、海風と太陽の力で約6ヶ月かけて結晶化させ、さらに6ヶ月かけて天日干しをします。 「塩田天日塩」は、こうしてできた大粒の結晶塩を食べやすく粉砕したものです。海水の成分を結晶化させているので、まろやかでどこか甘味のある、昔の日本人が味わっていた塩味に仕上がっています。和食をはじめ、あらゆるお料理にご使用ください。しっとりした粗塩タイプ。
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 私がこのたび塩ジプシーで「浜菱」を選んだのには理由があります。秋月さんの著書をブログで紹介したのは、つい最近ですが、実は一年以上前に読み終えていました。で、原爆が投下された昭和20年には、99%塩化ナトリウムの専売塩などなかったのだから、秋月さんの著書に出てくる「秋月式栄養学=ミネラル栄養学」の塩とは、99%塩化ナトリウムの塩ではないはず。では、どんな塩なのだろうと思っていたところ、浜菱の商品説明に「昔の日本人が味わっていた塩味に仕上がっています」と書いてあり、多分、こういう塩なのだろうと思ったからです。要するに私は、秋月さんの著書を読み終えた一年ほど前から浜菱を狙っていたのだけど、塩1キロ買うと、消費するのに半年~一年かかるので、購入が今になったのです。

2015年11月 5日 (木)

手羽元と大根と油揚げの煮物

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 晩に「鶏手羽元と大根と油揚げの煮物」を作りました。未熟ですが、完成度を高めれば、江古田(現新井薬師)で合格もらえると思うし、商品化できるとも思います。さらに工夫します。

2015年11月 3日 (火)

電気スタンド、買うことになりそうです

 羽を広げればテーブルにもなるバタフライ式ワゴンでの読み書き用に、電気スタンド買うことになりそうです。手暗がりの問題が問題になってきたのと、本やノートを照らすのに、台所中の照明を点け、その割に手元が暗いことの不経済さに気づいたからです。近々、ビックカメラに寄ってみます。

糠床作り直しました

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  一昨日の日曜日に、新しく糠床を作り直しました。生糠とペットボトルアルカリイオン水と塩(浜菱)の他に、干しシイタケ・昆布・鷹の爪(赤唐辛子)・ローリエ(月桂樹の葉)で作り、捨て野菜にキャベツと大根を入れました。毎日朝晩かき混ぜて、捨て野菜を時々取り替えて、10日ほどで食べらるようになるはずです。

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 容器はトンボの「ぬか漬 シール容器 朝市」を使いました。この容器は、4型(容量3.5リットル)・6型(6)・8型(8)のサイズ違いで三種類あり、私のは4型です。これからの季節は冷蔵庫管理必要ないので、7リットル琺瑯容器を使おうかとも思ったのですが、また夏になれば冷蔵庫管理のできる小さな容器に移し替えることになるのだから、初めから小さな容器で作ることにしました。大きな琺瑯容器は、琺瑯性なので、鍋として使おうと思います。

2015年11月 2日 (月)

「長崎原爆記」と「体質と食物」(秋月辰一郎)

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 秋月辰一郎さんの「長崎原爆記」と「体質と食物」を読み終えました。なお私が読んだ『長崎原爆記』は平和文庫のものではなく、「日本の原爆記録 9」(日本図書センター)収録のもので、以下引用ページはこれによります。

 私に差し迫った問題としてあるのは、両親から耳がタコになるほど聞かされている東京大空襲なので、広島長崎のことは、これ以上追いかけないと、井伏鱒二さんの「黒い雨」の感想文で書きましたが、秋月辰一郎さんの著書だけは別格です。
 癌で亡くなった人が生前書いていた手記・闘病記のようなものは、読んでいるだけで免疫力が下がるから読まないほうがいい。読むならば、癌を克服し、癌から生還した人が書いたものを読めと、ネットで読んだことがあります。そういう意味合いで秋月さんのものは別格なのです。

「長崎原爆記」 
 秋月さんはお医者様で、昭和20年8月9日に勤務先の長崎の浦上第一病院で被爆しています。浦上第一病院は爆心地から1800メートル離れていてピカドンの威力は減っているとは言え、病院は猛火に包まれます。

私はふり向いて病院の大屋根を見上げた。病院は煉瓦の鉄筋コンクリート建てだが、大屋根は日本式の勾配をもった瓦ぶきであった。その大屋根の中央が二段破風づくりである。その破風の棟の一端がほんのわずかくすぶっている。炊事の煙ぐらい、くすぶっている。
――中略――
 病院の火はそれから次第に燃えひろがった。大屋根から発火したのは不思議というほかない。おそらく新型爆弾が投下された瞬間、その周囲の空気は爆心地で数千度、病院付近で何百度にもなるのだ。爆心地より千五百メートルまでの木造建物は、ただちに発火して大火災になった。爆心地より千メートル以内の土地は、鉄でさえも燃焼した。
 病院は、爆心地より千八百メートルのところにある。大屋根にほんのわずかの火が出た。十数日続いた日照りに、いままた何百度もの熱風に吹かれ、病院は薪のように乾燥して、火を吹いたのだろう(276頁)。

 井伏さんの「黒い雨」には、被爆者の救助看護のために広島入りした無傷で元気な人たちが、次々と原爆症で亡くなることが多々あったと書かれています。長崎も同じで、病院の焼け跡で被爆患者の救助や治療を行ったにもかかわらず、秋月さんとともに働いた従業員の中に、原爆症で倒れた人がいなかったのは、玄米とワカメの味噌汁によるものと秋月さんは確信し、書き残されているのです。
「長崎原爆記」は原爆記ですから、味噌汁のことばかり書いてあるわけではありません。8月6日に広島に落ちた新型爆弾の噂はすでに長崎にも届いていました。9日朝、ピカドンにやられたときは、病院が直撃弾を受けたのかと思いますが、直撃弾を受けた割には皆軽傷で、不思議に思っていたところ、眼下の長崎市内は火の海で、自分たちは新型爆弾にやられたのだと気がつきますが、この新型爆弾が原子爆弾というものであることを知るのは、もう少し後のことです。

八月十三日ごろに、菊花の御紋章入りのビラが大学の教授たちの手に入った。それは米軍が空からまいたものである。【日本のみなさん、広島、長崎に投下された新型爆弾はおそろしい原子爆弾です。天皇陛下にお願いして一日も早く降伏して下さい】 ――中略――  原子爆弾だったということが、やっと分かった。日本人が、大衆が、バケツで水をかけたり、竹槍をけずったり、芋の買い出しをしたり、そうしているうちに、米国で原子爆弾が作られていたのである。 ――中略――  これまで私は、全身火傷、ガラス創、木材・煉瓦による挫傷の治療にばかり当たった。しかし、新しい疾病にぶつかる。これらの症状は、ある場合には全く無傷であったのに忽然として起こった。しかも、一、二日のうちに、症状が激化して患者は死んでしまう。ある人には、四、五日から一週間と、徐々にそれらの症状が現れて死ぬのである。  きわめて迅速に、急性に現れて死に至るものを激症とし、中等度症、さらに死ぬまでに至らしめないものを弱症とする。激症から弱症まで千差万別、実にその人の抵抗力、年齢によって雑多であった。ただはっきり言えることは、爆心地からの距離に比例して照射の量がきまるということであった。  爆心地は明瞭ではなかった。しかし本尾町、橋口町、浦上天主堂の付近、上野町の人びと、彼らは、私の見たところ激症であった。信愛女学園(常清女学校)の修道女たちもみな激症、本原町一丁目付近の人びとは、これについで症状が激しかった。火傷や、傷の手当にばかり専念していた私は、ここで放射能症、原爆症を考えねばならなかった。

 私、婦長、岩永修道士、村井看護婦なども、八月十五日頃から疲労が加わってきた。私ははじめ、「野宿は疲れるものだ」と思い、一週間近く病院の庭にごろ寝したことを、全身叩かれたような疲労の原因と考えた。私は放射能症、原爆症を知らない。しかし、ここで自分の身体の疲労や自覚症状を考えてみた。私はかつて、長崎医大付属病院の永井助教授が部長をしていた放射能教室に、一年間、助手として勤務したことがある。
 X線の診断治療をした時に、「レントゲン宿酔」という症状があった。子宮癌、乳癌の転移巣にX線深部治療をする。一日、二日と連続して照射すると、患者は一種の病的症状を起こす。これは「レントゲン宿酔」(レントゲン・カーター)と呼んでいた。当時医師不足で診療数が多く、私は疲労していた。一日に二人、三人と消化管のX線透視をする。月曜日から始めて金曜日まで診療を続け、土曜日は休み、整理とか抄読会をする。私は生来虚弱体質だったせいもあるが、金曜日ごろになると何だか気分が悪くなった。「ああ、それはレントゲン・カーターだ」と先輩から教わった。
 八月十五、六日ごろ、私は自分の症状が、このレントゲン・カーターに酷似していることを明瞭に自覚したのである。
 レントゲン放射線は、古典的物理学の言い方をすれば、波長のきわめて短い電磁波である。人間の細胞を透過する。しかしラジウム放射線と同じく、多量であれば人間の細胞を破壊する。レントゲン放射線に破壊される細胞は、分裂が盛んに行われる組織細胞である。幼弱細胞、生殖細胞、骨髄細胞――とにかく生命現象の営みの盛んな細胞は、レントゲン放射線によって壊死する。
 私はここまで原爆症を理解した。しかし原子爆発がいかなる放射線を生ずるか知らない。「ラジウム放射線か、レントゲン放射線、ガンマー線、そんな放射線だろう。その放射線が人間の造血組織、骨髄組織を破壊したのだろう。だから紫斑病みたいな患者が多いのだ」私の診断と推理はここまであった。
 私には血球計算器もなく、血球染色して顕微鏡で見る余力も装置も全くなかった。ただ想像と推理だけであった。私はさらに「レントゲン宿酔」の治療法を思い起こした。かつて私は、レントゲン教室で患者がカーターになったり、自分がカーターに苦しんだとき食塩水を飲んでいた。生理的食塩水より少しよけいに塩分を含んだ塩水の飲用を患者にも命じた。そうすると私自身、気分がよくなった。それは当時、レントゲン教室で研究し、働いていた人びとの常識であった。
「爆弾を受けた人には、塩がいいんだ。塩が、効果があるんだ」
 私に、新しい生物物理学、原子生物学の知識はない。書物や論文はなにもない。それでもこの秋月式の栄養学に信念を持ってきた。秋月式栄養学=ミネラル栄養学である。この時のミネラル栄養学を端的に表現するならば、食塩、ナトリウムイオンは造血細胞に賦活力を与えるもの、砂糖は造血細胞毒素ということになる。
 この考え方は、私が長崎医大の放射線教室にいた時、患者や医師や技術者にしていたレントゲン・カーターの治療に一致する。そしていま、この原爆症にも私のミネラル栄養論がそのまま役に立つのではないか。私の胸中に信念にも似たものが湧然とわいてきた。「玄米飯に塩をつけて握るんだ。からい、濃い味噌汁を、毎日食べるんだ。砂糖は絶対にいかんぞ!」
――中略――
 この時の私にひらめいたミネラル原爆症治療法は、私自身と、周囲の私を信ずる人びとの間には行われた。
 その後、永井先生のビタミンB1・葡萄糖論の治療法。長崎医大影浦教授の「柿の葉煎汁療法」のビタミンC大量法。あるいは酒、アルコール治療法など種々の原爆病治療法が現れた。
 しかし私は、このミネラル治療法のためこれまで生きながらえ、元気に病院で医師として働いてこれたのだと信じている。私はきわめて虚弱体質であり、千八百メートルの距離で原子爆弾を受けた。致死量の放射能でなかったのかもしれない。しかし私や岩永修道士、野口神学生、婦長、村井看護婦その他の職員や、入院患者は、被爆の廃墟の死の灰の上で、その日以来生活したのである。
 その人びとが、もちろん疲労や症状はあったであろうが、それを克服して元気に来る日もくる日も人びとのために立ち働き、誰もこのために死なず、重い原爆症が出現しなかったのは、実にこの秋月式の栄養論、食塩ミネラル治療法のおかげであった。
 私とその周囲の人びとは、それを信じている。学会ではたとえ認められなくとも。(350頁~357頁)

「体質と食物」
 で、ほとんど味噌汁のことばかり書かれてあるのが、こちらの「体質と食物」です。

食養生、食物の研究を巡りめぐって、味噌にたどりついた。味噌は、日本人の食物のかなめであると知った。これは、日本の国土、日本人の体質によって受け継がれた伝承のものである。
 ある思想家がプラトンからスコラ哲学、カント、へーゲル、マルクス、ベルグソンを遍歴して道元、親鸞に帰したのに似ている。
 味噌は科学以前のもであった。しかも科学によって証せられるものである(2頁)。

 秋月さんは、もともと多病虚弱で、これを克服しようと医学を志したのですが、現代行われている治療医学が、多病虚弱の秋月さんを満足させないと悟ります。
戦争中であって、国内に医師が不足していたので、私は三ヶ月の安静をしたのみで、病床を脱した。そして医師として働き出した。結核であったにもかかわらず軍隊に入隊したり、原爆に被爆したりした。その間、相当以上の無理をした。病弱であったが、わかめと揚げを実とした味噌汁が私の身体の要であるから、自分の病巣は悪化しないという確信があった。
 また事実その通りでもあった。
 昭和二十年八月九日の原子爆弾は長崎市内を大半灰燼にし、数万の人々を殺した。爆心地より1.8キロメートルの私の病院は、死の灰の中に廃墟として残った。私と私の病院の仲間は、焼け出された患者を治療しながら働きつづけた。
 私たちの病院は、長崎市の味噌・醤油の倉庫にもなっていた。玄米と味噌は豊富であった。さらにわかめもたくさん保存していたのである。
 その時私といっしょに、患者の救助、付近の人びとの治療に当たった従業員に、いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、「わかめの味噌汁」であったと私は確信している。
 放射能の害を、わかめの味噌汁がどうして防ぐのか、そんな力が味噌汁にどうしてあるのか。私は科学的にその力があると信じている。
 もし人体実験が許されるのなら、実験してもよろしいとさえ思っている。
――中略―― 日本人にとって、味噌は特に良質の油脂とミネラルの供給源であるから、私たちの放射能の害を一部防御してくれたのである。この一部の防御が人間の生死の境において極めて重要なのである(21頁~24頁)。

 味噌汁を食べ始めたからといって、すぐに病気に効くものではない。副腎皮質ホルモン、抗生物質のように今すぐ効果のあるものではない。
 毎日欠かさず味噌汁を食べていると、体質がいつの間にか、病気に負けない体質になっているのである。薬の効きやすい身体になっているのである(28頁)。


またデスクトップが変

 晩ご飯の支度をする前にいじっていたときは、ちゃんと動いていたデスクトップが、また動かなくなりました。ノートの不調はキーボードの不調で、いま外付けキーボードで書いています。デスクトップを復旧させるには、メーカーのHPに連絡する必要があるようですが、デスクトップはかなり古いので、買い替えを勧められると思いますがね。

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