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2016年7月

2016年7月31日 (日)

カトリック教会に通ってみます

 カトリックとプロテスタントでは礼拝の仕方が違い、戸惑うこと多いのは、あらかじめ分かっていました。今日は皆さんに親切にしていただきました。しばらく通ってみます。

聖公会?

 カトリックの礼拝は、プロテスタントとかなり違って、困惑すること多いです。むしろカトリックとプロテスタントの中間中道の聖公会のほうがいいかもしれません。いつもの病院近く、自転車で行ける距離に聖公会教会あります。お告げを待ちます。

カトリック教会に行ってきました

 カトリック教会に行ってきました。午前9時半からの日曜礼拝(ミサ)に出席したのです。
 受付で、「プロテスタント教会には何度も行っているが、カトリックのことはよく分からない。洗礼は受けていない」と話したら、親切にも、会堂ではシスターの指導が受けられるように、シスターの隣りに座らせてもらいました。礼拝後、信徒会館で一人の女性からお昼を御馳走になり、神父さんに紹介していただき、食事をしながらいろんな話をしました。
 私のほうから話したわけでもないのに、冤罪の話をしたり、私もよーく知っている共産党区議の名前が出たりして、私のほうが驚いたほどです。また毎月一回、信徒会館で用意したオニギリやお味噌汁を池袋の公園でホームレスの方に配布していて、8月末にもあるから、手伝いに来てほしいと言われました。手伝いに行く予定です。
 しばらく、あのカトリック教会に通おうと思います。

2016年7月30日 (土)

下見してきました

 いつもの病院で血圧の薬の処方箋をいただいた帰りに、カトリック教会前まで行ってきました。自転車置き場は門の近くにあり、雨の日に自転車用レインコートを脱いでから会堂まで歩くには、かなり距離あると思いました。皆さん、どうしているんでしょうか。明日行くかどうか未定。一晩考えます。
 それと、年に一度の無料健康診断の案内が豊島区医師会から届いています。これも受けないとね。

2016年7月29日 (金)

明日、下見に行きます

 隣町のカトリック教会は、いつもの病院のすぐそばです。血圧の薬が切れたので、明日午前中に病院に行きます(自転車で!)。帰りに、カトリック教会前まで行って、自転車置き場があるかどうかなど、下見してみようと思います。

カトリック?(2)

 隣町のカトリック教会も自転車で行ける距離です。この教会には20年近く前に一度行ったことがあります。土曜文学にマホメットのことを書いたことがありますが、その中に出てくるカトリックのシスターとの話は、この教会でしました。礼拝(ミサ?)終了後、会堂から出て前庭で二人のシスターと5分ほど立ち話をしたのです。
 聖母病院の修道院で暮らしていると言っていました。私がウダウダ話していたら、「これだけのことを言っていて、洗礼を受けていないの?」と、驚いていましたよ。また、「透視能力があるのでは? これも恵みでしょうけど」とも言っていました。礼拝の仕方がプロテスタントとかなり違って、戸惑うことありますが、悪い印象持っていません。

教会に紹介してもらおうか

 私は教会に自転車で行きたいです。子供の頃に通った教会は自転車では遠すぎるように思うので、明後日行って、私にふさわしい教会を紹介してもらうというのは、どうでしょう。、

英作文が邪魔 

「中学英文法+αで話せるドリル」は、ところどころに英作文があります。英作文というより、日本文を英文に直せというもので、既に勉強したことの復習という位置付けなのかもしれませんが、単語を覚えたわけでもスペルを覚えたわけでもないのに、これがあると、和英辞書を引く必要まで出てきてしまうんです。この英作文で引っかかって、なかなか前へ進めません。これを素っ飛ばして前進し、英作文後回しなら、この参考書で勉強できると思います。

英語の参考書、変えます

 私、この参考書と相性合わないような気がするので、参考書を変えます。要は、中学英文法を定着させればいいんですよね。基本の定着からセンター試験までに対応する参考書が手元にあるので、それに変えようと思います。講談社の絶対音読シリーズも、中学高校の教科書から選んだ英文を繰り返し音読することで、英会話力を身につけるというものですから、なにも「英会話」をうたってなくてもいいと思います。

キーワードお告げ、めちゃくちゃ

 ただいま2016年7月29日午前0時12分。現時点のキーワードお告げ、メチャクチャです。

Kiotuge729


2016年7月28日 (木)

第1章 教父時代 (1)概要

 私はいま、「キリスト教神学入門」の第1章「教父時代」を読んでいます。本書によると……、
「教父時代」という言葉は、あいまいな言葉であるが、新約聖書の諸文書が書き終えられたとき(100年頃)からカルケドンでの決定的な会議(451年)までの時期を指すと考えられている。

概要(真理子抜粋)
①この時代(第一世紀)は多くの問題を明瞭化する上で重要だった。主な課題は、キリスト教とユダヤ教の関係の整理で、新約聖書のパウロの手紙から、この問題の重要性が分かる。

②次に、特に第二世紀において重要だったのは「弁証学」。キリスト教史の第一期において、教会は、しばしば国家に迫害された。このような環境では、神学論争の余地は限られていた。これを念頭に置けば、なぜ古代教会にとって弁証学が重要だったのか背景が見えてくる。この時期にも、注目すべき神学者はいたが、神学論争が本当に始まったのは、ようやく教会への迫害が止んでからであり、本格的に可能になるのは、4世紀、皇帝コンスタンティヌスの改宗によってである。コンスタンティヌスの回心は、ローマ帝国内のキリスト教の状況を一変させた。コンスタンティヌスは、帝国中にあって統一の教会を欲した。その統一のために、教理上の相違が解決されるように彼は心を砕いた。神学者は、迫害を心配することなく、仕事ができるようになった。

広告メンテナンス始めています

 昨日から、モニターの仕事はメンテナンスに切り替えています。入金につなげないとね。

2016年7月27日 (水)

昨日お祈りしました

 お祈りは毎日していますが、いつものお祈りと違う内容のお祈りを昨日しました。中身は内緒。神風吹いたかもしれません。

2016年7月26日 (火)

讃美歌391番

「ナルドの壺}(讃美歌391番)です。私、この歌大好き。

中学英文法が先かな

 この参考書もかなり役に立っています。これで中学英文法を使いこなせるところまで身につけるほうが得策でしょうか。

英語学習は読み書き中心に

 英顎学習を英会話学習から、読み書き中心に変えようと思います。難関校受験しようとしているわけではないので、英文聖書を辞書引きながらでも読めるくらいの英語力を目指そうと思います。幸い、出回っているテキストには音声CD付きの物が多くあるし、すでに私の手元にもあります。積ん読かないで読むんです。

2016年7月25日 (月)

モニターの仕事、メンテナンス中心に

 モニターの仕事はメンテナンス中心にします。ずいぶん前から講師の方に言われていたことなのですが、キーワードお告げに気を取られていました。広告そのものは300以上作れているので、入金につなげないとなりませんので。

カトリック?

 カトリック教会に行ってみましょうか? 隣町にあるのでホームページを見てみたのですが、プロテスタントとはかなり違って、ページを閉じてしまったのですが。お告げを待ちます。

時間割で

 起床時間から就寝時間まで、時間割で動こうと思います。お告げを見るのに忙しく、ほかのことが手に付かなくなったりしているのを改めて、英語学習・読書や書きもの・家事・モニターの仕事を、時間割でこなしていってみます。モニターの仕事から入金があるように努力します。

2016年7月24日 (日)

ほとんどが、すでに論じられたもの

 A・E・マクグラスの「キリスト教神学入門」の23頁序文の冒頭にこう書いてあります。

 神学の重要な問題について考える人は、すぐに、そのほとんどが既に論じられたものであるということに気づくであろう。神学を、これまで何もなされてこなかったかのようにしてするというのは、実質的に不可能なのである。

 私はこの頼もしい言葉に引かれて本書をポチポチ読み進めようと思った次第なのですが、巻末の神学用語解説ⅵでは、「至福直感」がこう説明されています。
 特にローマ・カトリックの神学において用いられる言葉で、神を完全に見ることを言う。これは選ばれた者だけが死後に与えられるものである。しかしながら、トマス・アクィナスを含めた何人かの思想家たちは、モーセやパウロなど、恵みを受けた一部の個人には現在の生においてこれが与えられると教えている。

 私、ずいぶん前に土曜の会の人から、「輪廻でモーセの霊でもついているんじゃないか」と言われたことありますし、池袋の歯医者を、階段を上るように天国に連れて行ったり、弁護士Aに黙示録の光を見せたりしていますよね。私って一体何なんだろうと思っていたんですが、これも神学ですでに論じられていることのようですね。本書を最後まで読めば答えが得られるんでしょうか。

カテゴリー「キリスト教神学入門」作りました

 この記事をカテゴリー「本・映画」に分類しましたが、このたび「キリスト教神学入門」というカテゴリーを作って、本書の感想文を検索しやすくすることにしました。

今度は「教会」ばかり

 キーワードお告げ、今度はほとんど「教会」です。カトリックだったり、ルター派だったり、いろいろありすぎて何が言いたいのか分からないです。

なんだか訳が分からなくなってきました

 なんだか訳が分からなくなってきました。お告げ係りとのお話はお終いにします。

日本キリスト教団で探します

 日本キリスト教団で相性の合うところを探してみます。

日本キリスト教団と日本キリスト教会

 私がこれまで行った教会は、日本キリスト教団の教会がほとんどですが、日本キリスト教会も所属教会多いです。日本キリスト教会で行くべき教会を探してみましょうか。

まったく別の教会でしょうか

 私が行くべき教会は、子供頃の教会でも、近所の教会でもない、まったく別の教会でしょうか。

次回(7月31日)礼拝予告

 日曜礼拝に行ってきました。今日は近所の小さな教会に行きました。
 今日の聖書の箇所は、新約聖書エフェソの信徒への手紙1章15節~23節でした。私は神を信じる者でありますし、お祈りはキリスト教式(=祈るときはこう祈れと、聖書の中でキリストが言っているように)に祈っていますが、洗礼は受けていません。これまでしばらく教会に通うと、「そろそろ洗礼を」と言われてきました。これを言われると、なんだか逃げ出したくなり、アッチの教会、コッチの教会と…転々としてきたように思います。そういう意味で今日は牧師が興味深い話をしていました。
 どこかのカトリックの教会で、神父だか司祭が洗礼を授けたら、その受洗者が、まだ洗礼を受けていない求道者を下に見るようになってしまい、洗礼の弊害を思い、その教会では洗礼をしなくなったのだそうです。

★ ★ ★

次回(7月31日)礼拝予告
聖 書   ヨハネの黙示録22章10節~21節
お 話   「祈り」
讃美歌    1番  316番  518番


 あの近所の小さな教会に来週も行くかどうか分かりません。行ったことにない教会を探していくかもしれません。 

2016年7月23日 (土)

どちらでもかまわない

 教会はどちらでもかまわないのでしょうか。

教会へ行かない

 それとも教会には行かないで、自宅で聖書を読んで、ブログで情報発信していればいい。

小さな教会でしょうか

 それとも近所の小さな教会でしょうか。

子供の頃の教会ですね

 私が教会に行くにしても、子供の頃の教会か、近所の小さな教会か、どちらに行くべきか迷っていました。どうもネットワークは、私を子供の頃の教会に行かせたがっているようです。この解釈は正しいでしょうか。

広まるね(新約聖書マタイ福音書4:23~24)

 私はいま、新約聖書のマタイによる福音書を読んでいますが、4章23節~24節にこう書いてあります。

 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。
(新約聖書 マタイ4:23~24)

 私って、お祈り一つで、サッカーの試合でオオグロを出したり、瀕死のオバちゃんを蘇生させたりしてますよね。いまはインターネットの時代ですし、私自身ブログで情報発信しているのだから、私のことは広まるでしょうね。

兄貴は相変わらずで

 兄貴は相変わらず私に生活費をくれません。お塔婆も自分の名前で申し込しこんで、私に費用を払わせています。モニターの仕事からも入金ないし、参っちゃいますよね。

いま読んでいる本「キリスト教神学入門」


商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)

初めて神学を学ぶ人から教職者まで、必携の手引き。神学の歴史・方法・内容を一冊で網羅。最新の情報と議論に基づき、しかも古代から現代までの神学のテーマを系統的に学べる。英語圏で最も広く使われている入門書の最新版からの翻訳。用語解説・索引・インターネットサイトの紹介など充実した付録付き。


★ ★ ★

 いま「キリスト教神学入門」という本を読んでいます。ポチポチ少しずつです。本書を私が買ったのは、引照付き新共同訳聖書と同様に、佐藤優さんの「はじめての宗教論 右巻」の中で佐藤さんが推薦されていたからなので、もう何年も前ですが、読もう読もうと思いながら、いままで積読でした。それを読み始めているのです。
 その38頁にこう書いてあります。
 テルトゥリアヌスがとった道も、これに似たものであった。彼によれば、聖書は全体として読むのであれば、はっきりと理解され得るものである。もっとも、ある箇所の解釈について議論が生じるのは不可避であるとも、彼は認める。彼の悲観的な観察によれば、異端とは、多かれ少なかれ、自分たちの好きなことを聖書に言わせたがるのである。それゆえに、教会の伝統が非常に重要になってくる。
(「キリスト教神学入門」38ページ)

 これは意味深い言葉だと思います。
 で、本書を読み始めるのと同時に私は、聖書の通読にチャレンジしています。読み方は、新約聖書マタイによる福音書・ヨハネによる福音書・使徒行伝を読んでから、旧約聖書を読むという順番です。

行って良かった実行委員会

201607211

 8月に「救援ひろば」があります。救援会に入ったばかりの人や、入ろうかどうか迷っている人に救援会を知ってもらおうという計画で開かれるものです。その実行委員会が昨夜あって、私は豊島支部を代表して出席しました。
 地下鉄本郷三丁目駅からしばらく歩いていると、とっても懐かしい人にバッタリ会いました。神様のお引きあわせ。そんな感じの出会いでした。
 実行委員会そのものは、出て良かったと思います。支部ニュースに案内を載せるにも、私自身がどういう催しなのか知っておく必要あるからです。

2016年7月22日 (金)

このところ「聖書」ばかり

 モニターの仕事を始めるようになってから、キーワード作成画面に「キーワードお告げ」が出るようになっています。これが見たくて私は広告を作っているような気もします。
 
201607221

 このところのお告げは、左画像のように「聖書」ばかりです。いかに聖書を読んでいる人が多いか。聖書の訳が多いか。解釈の違いが生じているか…を物語っていると思います。

今月も入金ナシ

 モニターの仕事をしていますけど、今月も入金ありませんでした。今月の入金は5月分で、5月は相当量の仕事をしたつもりです。講師の指導によりと、一番大事なのは広告のメンテナンスなんだそうで、今後はメンテナンスに時間を割くことになるでしょう。

2016年7月19日 (火)

口語訳と新共同訳を読み比べ

 私の手元にある聖書は、日本聖書協会の口語訳と新共同訳です。口語訳は私の子供のころから慣れ親しんだ訳であり、学生時代の聖書が活字が小さくて加齢とともに読みづらくなったので、30年ほど前にワンサイズ大きな聖書を買い求めたと記憶します。この30年ほどの間に、聖書のあちこちにマーカーで印を付けたり、メモを書き込んだりしているのですが、その中に、詩篇116章11節~12節があります。私はバブルの頃に、神以外のいかなるものも信じないという境地に達していて、この詩篇の箇所は、私の心情をそっくり表しているので、マーカーで線を引いたのだと思います。
 で、今日、この詩篇の箇所を新共同訳とで読み比べてみました。

旧約聖書 詩篇116篇11節~12節

わたしは驚きあわてたときに言った、
「すべての人は当てにならぬ者である」と。
わたしに賜ったもろもろの恵みについて、
どうして主に報いることができようか。
口語訳 852頁

不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。
主はわたしに報いてくださった。
わたしはどのように答えようか。

新共同訳 956頁

 新共同訳のほうは引照付きなので、聖書を勉強するには良いのだけれど、慣れ親しんでいるからかもしれませんが、訳そのものは、私は口語訳のほうがいいと思います。


弁護士A様
 なんども言います。虚偽自白の謎が解けたのも、少年事件に無罪が出たのも、神の恵みです。二人揃って、ちゃんとお礼を言わなくてはなりません。

お父様から返信が来ないので

 北陵クリニック事件の起訴状が私の手元にないようなので、大助さんのお父様にメールで問い合わせたのですが、返信が来ません。大助さんのご両親は、二人そろってお出かけになることが多いので、私のメールを見ていないのかもしれません。というわけで、首都圏の会の事務局長だったFさんに問い合わせてみようと思います。

2016年7月17日 (日)

2016年盂蘭盆会法要

201607171

 日暮里のお寺で開かれた盂蘭盆会法要に行ってきました。お寺に着いてすぐにお墓参りをしました。その後、お寺が用意して下さったちらし寿司をお昼にいただきました。

201607172


 午後1時からお坊さんの法話(ありがたいお話)を聞いて、休憩をはさんで午後2時から法要が始まりました。
 お坊さん(日暮里のお寺の住職ではない)のお話途中で地震がありました。お坊さんは東北出身の方で、311大震災の記憶が生々しくよみがえってようで、少しパニックになっていました。私はキリスト教式にお祈りしたところ(黙祷)、地震が止まりました。やはり仏教には、地震を止める力はないんだなと思いました。

昨日はマイクを握りました

 昨日は午後から北陵クリニック事件守大助さんを守る東京の会の行動、お茶の水駅頭宣伝に参加しました。私もマイクを握って、ご通行中の皆さんに支援を訴えました。事前準備が功を奏して、なかなか好評でした。次回ではより良い訴えができるように用意しようと思います。

2016年7月15日 (金)

不具合の件、勘違いでした

 先ほどパーソナル編集長Ver.11の不具合のことを書きましたが、どうも私の勘違いだったように思います。

Ver.11不具合のように思います

 パーソナル編集長Ver.11で文章を書いて印刷したところ、パソコンで見るのと違ったように印刷されました。文字を標準にしているにもかかわらず、印刷すると太字になっているのです。またパーソナル編集長画面では標準に見えるのですが、これをPDFにするとPDF画面でも太字になっているようなのです。問い合わせてみます。

2016年7月14日 (木)

北陵の「起訴状」がない

 私の手元に北陵クリニック事件の「起訴状」がないように思います。2003(平成15)年11月の論告要旨ならありますが、2001(平成13)年1月に逮捕と起訴が繰り返された時の起訴状が見当たらないのです。守大助さんのお父様に問い合わせてみようと思います。

2016年7月10日 (日)

しばらく北陵に集中

 7月16日(私の誕生日!)に北陵クリニック事件東京の会の行動があります。お茶の水駅頭宣伝で、私もマイクを握って訴えようと思うので、当分その準備に集中します。それとお盆の用意(仏壇飾り付け)もしなくてはなりませんのでね。

選挙に行ってきました

 参議院選挙の投票を済ませてきました。比例は生活の党の青木愛さんに、東京選挙区は共産党の山添拓さんに入れてきました。相変わらず投票所には鉛筆があるだけで、消しゴムがありませんね。書き損じた場倍、例えば漢字を間違えたときなど、鉛筆で縦に二本線で消して書き直したら無効でしょうか。

2016年7月 9日 (土)

「cannot」と「shall not」と「does not」

 この記事で、私の手元にある聖書は日本聖書協会の引照付き新共同訳と引照ナシの口語訳と書きましたが、実はもう一つ、日本聖書協会の「和英対照新約聖書」もありました。横書きで、1ページの左半分に英語が、右半分に日本語が書いてあります。左半分の英語と右半分の日本語は、それぞれ別に原文であるギリシャ語から 翻訳されたもので、対照ではあるが対訳――英語聖書を日本語に訳したものではありません。

 この英語聖書には、マタイ4章4節の「人はパンだけで生きるものではない」が、「Man cannot live on bread alone」と書かれていました。私は、「alone」って、こういう使い方をするんだなと英和辞典で確認しようとしたら、辞書によって書いてあることが違ったんです。「違う」と言っても、aloneが、名詞の直後に用いると「ただ~だけ」という意味になるという説明は同じなのですが、例文が違うんです。

 学研のスーパアンカー英和辞典第3版には、aloneを使った例文に、
「Man does not live by bread alone(ことわざ)」
 と書いてあり、
 電子辞書のジーニアス英和大辞典典とリーダーズ ・プラスには、
「Man shall not live by bread alone(聖書 マタイ4:4、ルカ4:4)」
 と書いてあり、
 同じ電子辞書のランダムハウス英和大辞典には、
「One cannot live by bread alone(聖書 マタイ4:4、ルカ4:4)」
 と書いてあるんです。

「cannot」と「does not」と「shall not」では、微妙に意味合いが違いますよね。助動詞って難しいなぁと思います。
 それと、「live on」と「live by」も違うんです。「live on」になっているのは英文聖書だけで、私の手元にある辞書はすべて「live by」になっています。それらの辞書によると、「live by」は、「~で生計を立てる」あるいは「(信条など)に従って生きる」という意味で、「live on」は、「~を常食・主食とする」という意味のほかに「~で生計を立てる」 という意味もあるようです。
 助動詞も難しいけど、前置詞も難しい。なんだか泥沼にはまりそうなんですが、この泥沼から抜け出すには、ギリシャ語原文聖書で確認するしかないのかなと思います。ますます泥沼にはまるかも。

2016年7月 7日 (木)

新改訳聖書もあるといいね

 私の手元にある聖書は、日本聖書協会の新共同訳と口語訳です。もうひとつプロテスタント系聖書に新改訳というのがあります。この聖書を使っている教会も多く、訳も素晴らしいのだそうです。手元に一冊あるといいと思います。

2016年7月 6日 (水)

「はじめての宗教論」(佐藤優著 NHK出版 生活人新書)


論壇の雄にして「知の怪物」による究極の入門書、ここに登場!

合理的な「見える世界」が支配するこの時代。しかし、人間の「見えない世界」への関心と結びつき、スピリチュアル・ブームから政治の領域まで、宗教は様々なところに顔を出す。キリスト教神学に照準し、聖書の正しい読み方から神学的思考の本質までを明快に解説。21世紀を生き抜くための知的体力が身につく、著者渾身の書き下ろし!

アマゾンより

★ ★ ★

 佐藤優さんの「はじめての宗教論 右巻」の感想を書きます。
 アマゾンの記録によると、私がこの本を買ったのは2010年1月5日です。発行が2009年12月10日だから、間もない頃に買ったことになりますが、読み始めてみると、もーのすごくつまらなかったので、私は最後まで読まずに放り投げてしいました。本来なら、これっきりになるところ、山崎行太郎さんが、哲研やブログでしばしば佐藤優さんの名前を出すので、再度読み返して感想をブログに書くことにしました。

 本書は右巻と左巻から成っていて、私の手元にあるのは右巻だけです。この右巻の序章(30頁)に、

私は本書で、プロテスタントの視点からはこういうふうに世界が見えるということを正直に述べます。私と違う考えをもち、私と違う視点の人も、とりあえず私の話に付き合って、この船に一緒に乗ってみてください。-略-最後までお付き合いいただければ幸いです。

 と、書いてありますが、やはり今回も、最後までお付き合い(読み通す)する気にはなれませんでした。
 アマゾンのレビューで高く評価されていたので、私はそれに引かれて買ったのだと思いますが、私が本書を購入した2010年1月5日時点では、アマゾンには高評価しかなく、批判的なレビューが出てくるのは、2010年1月16日以降のことです。
 その批判的なレビューには、私が感じたこととほぼ同じ事が書いてあります。

 私は佐藤さんが本書を誰に読まそうとしているのか分からないんです。「渾身の書き下ろし」という商品説明になっていますが、「役に立つ神学」というタイトルで「月刊プレイボーイ」に連載されていたようです。ということは、「月刊プレイボーイ」の定期購読者向けに書いたのでしょうか。プレイボーイの愛読者のなかにも、宗教に関心のある人や救済を求める人はいるでしょうけど、なんだか素人相手にムチャクチャ書いてるような気がします。

 私は日本聖書協会の引照つき新共同訳聖書を2011年7月に買っています。実はこれ、本書の中で佐藤さんが、聖書を正しく読むには、聖書は引照付きがいいと言われているので買ったのです。本書自体は、聖書や哲学書や神学書の引用につぐ引用で、話の進め方も脱線につぐ脱線で、佐藤さんが何を言いたいのかつかめない。こんなものを読み進めるくらいなら、聖書を真っ直ぐに読んだほうがいいと思ったからなのですが、私の手元には引照なしの口語訳聖書があるだけだし、池袋の大型書店でも聖書は取り扱っているけれども、引照付きはなかったので、銀座の教文館まで出掛けて行ったのです。

 ではここで、佐藤さんオススメの引照つき新共同訳聖書で確認を取りながら、佐藤さんのムチャクチャぶりを示してみたいと思います。
『第2章 聖書の正しい読み方』の『「人はパンのみに生くるにあらず」の意味』(62~63頁)に、こう書いてあります。

たとえば「人はパンのみに生くるにあらず」というのは結構有名なフレーズですね。これは通常の解釈では、人はパンだけで生きるのではなく、何か精神的なもの、宗教的なものに頼って生きていることになる。物質的世界と精神的世界という二元論で捉えられている。しかし、この読み方は完全に間違いです。なぜならば、この部分は旧約聖書の「天からのマナ」というところのコンテクストで言われているからです。
 モーセがエジプトを抜け出して、エジプトで捕虜になっていたユダヤ人たちを連れてシナイ半島を歩いているときのことです。食べ物が全部なくなると、天からマナというものが降ってきた。そのマナというものを食べて命をつなぐことができたということです。マナは乾燥地帯の植物に付着した昆虫の分泌物が結晶化したものとされています。
 引照付きの聖書を見ると、イエスはこの箇所との関係において「人はパンのみに生くるにあらず」と言っていることがわかります。これはどういうことかというと、パンがなくても神様が「天からのマナ」のような最低限必要な食べる物を与えてくれるので、人間は生きていくことができるということです。フーテンの寅さんがよくタコ社長に言う「稼ぎに追いつく貧乏なし」と同じことで、人間はカネがないとか、食い物がないとか言っても必ず食っていくことができるということ。つまり、徹底した物質の世界の話なのです。
「はじめての宗教論 右巻」62頁~63頁

 まず、「人はパンのみに生くるにあらず」というフレーズは、新約聖書のマタイ福音書4章4節に出てきますが、マタイ4章4節には、こう書いてあります。
 イエスはお答になった。(x)「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」
(マタイ 4:4、  新約聖書 新共同訳4頁 口語訳4頁)

 そして(x)が指す旧約聖書申命記8章3節には、こう書いてあります。
 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。(f)人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。
(申命記 8:3、 旧約聖書 新共同訳294頁 口語訳258頁)

 そして(f)が指す旧約聖書申命記32章47節・旧約アモス書8章11節・新約マタイ4章4節には、こう書いてあります。
 それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる。
(申命記 32:47、 旧約聖書新共同訳335頁 口語訳297頁)

見よ、その日が来ればと 
主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく、
水に渇くことでもなく、
主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。

(アモス 8:11、旧約聖書 新共同訳1440頁 口語訳1277頁)

 
 イエスはお答になった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」
(マタイ 4:4、  新約聖書 新共同訳4頁 口語訳4頁)

 上記聖書引用から、「人はパンのみに生くるにあらず」の意味が、「稼ぎに追いつく貧乏なし」と同じことで、人間はカネがないとか、食い物がないとか言っても必ず食っていくことができるということ。つまり、徹底した物質の世界の話になるでしょうか。
 池袋の大型書店でも引照付き聖書は買えなかったので、私は銀座の教文館に出掛けましたが、プレイボーイの愛読者が、佐藤さんの記述を確認するために、教文館まで行くとは思えない。要するに、素人相手にムチャクチャ書いてるんじゃないかと思うのです。
 そうではなくて佐藤さんが、大学の神学部で学ぶ人に読まそうとしているなら、失敗と思います。神学部の学生の周囲には、神学部の先生がいるし、神学部に進む人ならば、牧師のいる教会にも通っているはずなので、佐藤さんがムチャクチャ書いているのがバレちゃうんですよ。それとも同志社の先生方はみなさん、このように学生を指導しているのでしょうか。
 キリストって、暴風を止めたりしていますが(マタイ8:23~)、「こういうことって本当にあったんだろうか」と、牧師の間で議論しているようだから、教会の牧師もあまりあてにはなりませんが、それでも、吹けば飛ぶような小さな教会の牧師でさえ、こんなムチャクチャ言いません。もう少し傾聴に値する話をしています。この「傾聴に値する話」というのが「主の言葉」「神の口から出る言葉」で、これを求めて人々は教会に行ったり聖書を読んだりしているのではないでしょうか。なんだか私、教会に行きたくなってきましたよ。

 これくらいにしておきますが、引照付き聖書はアマゾンでも買えますね。↓
 

2016年7月 5日 (火)

昨日は教文館へ


商品の説明
内容紹介

「国民が国家をしばる約束」から「国家と国民が協力してつくる"公の秩序"」へ。草案の提案する憲法観の大転換を、起草者たちの論理と願望にぴったりとよりそって語る。

目次
はじめに
1 憲法を変える理由
2 国民主権の縮小
3 戦争放棄の放棄
4 基本的人権の制限
5 強く美しい国へ
資料1 「あたらしい憲法のはなし」(抄録)
資料2 自民党憲法改正草案(現行憲法条文対照)


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 昨日は午後早い時間に銀座の教文館に行ってきました。2~3日前に教文館のホームページを見ていたら、「あたらしい憲法草案のはなし」(自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合)を発見したので、買いに行ったのです。本書はアマゾンでも買えますが、教文館は1~2階は普通の本屋さんのように旅行ガイドブック等の一般図書を置いているけれど、3階から上はキリスト教関連図書を扱っています。また入口は別だけれども、日本聖書協会と建物を共有しているほど、キリスト教に縁の深い本屋さんですから、昨日は本書「あたらしい憲法草案……」を買い求めるついでに、キリスト教関連の本も見てきたのです。本書はこれから読み、感想もブログに書きますが、やはり教文館には時々行かなきゃなって思いました。

2016年7月 2日 (土)

お祈りしないと…

 弁護士A様。虚偽自白の謎が解けて、少年事件に無罪が出て……、これだけの恵みにあずかたったのだから、二人揃って神様にお祈りしないとね。R大学のA先生も一緒かな。

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