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2017年10月26日 (木)

国分寺のKおばちゃんに聞きたいこと

 私の母は昭和19年の末に父と結婚して大塚にやってきました。結婚式は帝国ホテルでした。山一証券に勤めていた祖父の親友・当時の帝国ホテルの社長に、「お前の息子が結婚するときは、ウチを使え。ヤミだと高くなるが配給枠でやれば安いから……」と言われたからだそうです。その頃すでに東京の空襲は始まっていて、空襲があっても帝国ホテルなら大丈夫だろうと言いつつ、防空頭巾持参で出かけたと聞いています。
 そして母は大塚で暮らし始めたわけですが、昭和20年4月の東京城北大空襲の際、大塚の宮中公園に逃れて命拾いしたものの、大塚の家を失います。そしてその後、父の勤務先(中外製薬)が疎開していた千葉の九十九里に身を寄せ、ここで終戦を迎え、戦後、東京に戻って、大塚の家の焼け跡に新しい家ができるまで、上町の家で暮らします。
 私は新しい大塚の家ができてから生まれたので、家族の中で私一人が上町の家を知りませんし、兄二人は上町の家近くの文京区立小学校を出ているのに、私だけが豊島区立小学校に入りました。
 この上町の家を私はずーっと、新しい家が出来るまで焼け残ったどこかの家を借りていたのだと思っていたのですが、兄の葬儀の折、国分寺の従兄弟に聞いたところ、上町の家は祖父の持ち家だったようなのです。いまとなったら、当時の事を知っているのは国分寺のK叔母ちゃんだけなのです。
 また父には妹が三人いて、彼女らにも一緒に九十九里に行かないかと誘ったものの来なかったと母から聞いています。が、母の話のなかに祖父母が出てこないのです。一緒に暮らしていた大塚の家が空襲で焼けたあと、祖父母や叔母ちゃんたちも宮中公園に逃げたのでしょうか。祖父母も九十九里に行ったのでしょうか。
 また母の話には、「こんなチッポケなオニギリ一つもらうのに、1時間も2時間も歩いた。着いたら着いたで1時間も2時間も行列した」というのがあります。成増の方にもらいに行ったらしいんですが、このへんのところも国分寺の叔母ちゃんに聞けるでしょうか。

追記
 上町の家ではウサギを飼っていたのでしょうか。

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