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2018年2月10日 (土)

「炎天下の中」って

 母から戦時中の話を繰り返し聞いていますが、「(空襲で?)生き残ったら生き残ったで大変だ。こんな小さなおにぎりを一つもらうのに、炎天下の中を1~2時間歩く。着いたら着いたで炎天下の中、1~2時間行列なんだ。これが出来ないヤツはみんな死んでいった」というのがあります。これは私が同期のバレー部員の中で一人残り、高校三年の11月の試合を最後に引退したときに、「よくやた! 一年や二年じゃ分からない。5年や10年でも分からないかもしれない。が、いずれこの体力が物を言うときが必ず来るだろう」という話の中に出てくるものです。
 私はずーっとこの話を戦時中のことと思っていましたが、大塚を含めて豊島区一帯が被災した東京城北大空襲は、昭和20年4月ですから、「炎天下」では辻褄が合いません。また両親は、大塚の家を失った後、父が勤めていた中外製薬の疎開先・千葉の九十九里に身を寄せ、ここで終戦を迎えます。この九十九里では、「イワシを手づかみで食べていて、食べるに困らなかった」のですから、「こんな小さなおにぎりを一つもらうのに、炎天下の~」だと辻褄が合わないのです。
 で、私は考え直しました。この「炎天下」の話は、ひょっとすると、大正12年9月1日の関東大震災時のことかもしれない、と。9月1日なら、まだまだ残暑厳しい頃ですよね。
 近々、仙台土産の牛タンを持って、伝通院に遊びに行きます。関東大震災では、伯父さん(母の兄)も一緒に被災しているはずです。伝通院の従姉は、伯父さんから何か聞いていないでしょうか。こんな話も聞ければと思っています。

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