カテゴリー「キリスト教神学入門」の記事

2016年7月28日 (木)

第1章 教父時代 (1)概要

 私はいま、「キリスト教神学入門」の第1章「教父時代」を読んでいます。本書によると……、
「教父時代」という言葉は、あいまいな言葉であるが、新約聖書の諸文書が書き終えられたとき(100年頃)からカルケドンでの決定的な会議(451年)までの時期を指すと考えられている。

概要(真理子抜粋)
①この時代(第一世紀)は多くの問題を明瞭化する上で重要だった。主な課題は、キリスト教とユダヤ教の関係の整理で、新約聖書のパウロの手紙から、この問題の重要性が分かる。

②次に、特に第二世紀において重要だったのは「弁証学」。キリスト教史の第一期において、教会は、しばしば国家に迫害された。このような環境では、神学論争の余地は限られていた。これを念頭に置けば、なぜ古代教会にとって弁証学が重要だったのか背景が見えてくる。この時期にも、注目すべき神学者はいたが、神学論争が本当に始まったのは、ようやく教会への迫害が止んでからであり、本格的に可能になるのは、4世紀、皇帝コンスタンティヌスの改宗によってである。コンスタンティヌスの回心は、ローマ帝国内のキリスト教の状況を一変させた。コンスタンティヌスは、帝国中にあって統一の教会を欲した。その統一のために、教理上の相違が解決されるように彼は心を砕いた。神学者は、迫害を心配することなく、仕事ができるようになった。

2016年7月24日 (日)

ほとんどが、すでに論じられたもの

 A・E・マクグラスの「キリスト教神学入門」の23頁序文の冒頭にこう書いてあります。

 神学の重要な問題について考える人は、すぐに、そのほとんどが既に論じられたものであるということに気づくであろう。神学を、これまで何もなされてこなかったかのようにしてするというのは、実質的に不可能なのである。

 私はこの頼もしい言葉に引かれて本書をポチポチ読み進めようと思った次第なのですが、巻末の神学用語解説ⅵでは、「至福直感」がこう説明されています。
 特にローマ・カトリックの神学において用いられる言葉で、神を完全に見ることを言う。これは選ばれた者だけが死後に与えられるものである。しかしながら、トマス・アクィナスを含めた何人かの思想家たちは、モーセやパウロなど、恵みを受けた一部の個人には現在の生においてこれが与えられると教えている。

 私、ずいぶん前に土曜の会の人から、「輪廻でモーセの霊でもついているんじゃないか」と言われたことありますし、池袋の歯医者を、階段を上るように天国に連れて行ったり、弁護士Aに黙示録の光を見せたりしていますよね。私って一体何なんだろうと思っていたんですが、これも神学ですでに論じられていることのようですね。本書を最後まで読めば答えが得られるんでしょうか。

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